●沢の鶴の歴史
長江取締役(以下長江):今日はわざわざお越しいただきましてありがとうございます。JAみのりさんの管内には、山田錦を通じて当社と長いお付き合いをしていただいている村米の地区もありますので度々おじゃまをしています。生産者の方々ともお付き合いをさせていただいております。
神戸組合長(以下神戸):それはありがとうございます。今日は、その山田錦を掲げたホームページの対談と言うことで参っております。よろしくお願いいたします。
最初に、沢の鶴さんの名前の由来と沿革などをお教えください。これまでにお伺いしたお蔵元ではそれぞれ興味深いお話をお伺いしております。沢の鶴さんも長い歴史のあるお蔵ですので色々お伺い出来ることを楽しみに参りました。
長江:わかりました。まず沿革から申しますと、大阪で大名に出入りして藩米の取り扱いと、両替商を営んでいた米屋平右ヱ門と言う大商人が居ました。その別家の米屋喜兵衛が享保2年(1717年)に、大阪平野町で米屋を営みながら、副業で酒を造り始めたのが当社の始まりです。
それから社名の由来ですが、この喜兵衛がお伊勢講でよく伊勢参りをしていたようです。伊勢神宮には内宮、外宮のほかに伊雑の宮という別宮が三重県磯部町にありますが、そちらのお田植祭りやら収穫祭にもよく行っていたようです。
ある年の収穫祭に鶴が稲の穂をくわえて飛んで来たのを見て、故事にある「沢の鶴」だと喜んだところから、付けたと聞いております。
伊雑の宮の縁起から
「太陽の神・天照大神を伊勢にお祀りしたとき、伊雑(いざわ)の沢で頻りに鳥の鳴く声が聞こえたので、いぶかしく思った倭姫命(やまとひめのみこと)がその啼き声の主をたずねたところ、真っ白な丹頂鶴がたわわに実った稲穂をくわえながら鳴いているのを見つけた。
鳥ですら田を作って大神へ神饌(神へのお供え)を奉るのかと深く慈しんだ倭姫命は、伊佐波登美神(いさわとみのかみ)に命じてその稲穂から酒を醸させ、初めて大神に供え奉るとともに、その鶴を大歳神(おおとしのかみ)=五穀の神と呼んで大切にした」(沢の鶴HPから)
以来、明治31年(1898年)に合資会社になり、大正8年(1919年)には株式会社へと改組して現在に至っております。
昭和の戦時には酒造統制・販売統制による苦難の時代もありましたが、幸いにして戦災による当社の損害は軽微であったことから、戦後はいち早く輸出も再開し順調に発展して参りました。
その後昭和37年(1962年)には近代的な醸造工場「西蔵」を、昭和46年(1971年)には近代的四季醸造工場「瑞宝蔵」を新設して、酒造りの理想的な環境を追求しながら伝統の味と品質を守り続けてきました。
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