灘の蔵元巡り
山田錦倶楽部の主宰者、JAみのり代表理事組合長神戸秀典が、山田錦の育ての親である灘の蔵元のお話をお伺いいたします。
第6回日本盛株式会社
取締役生産本部長
        浜田 薫氏
営業企画部ゼネラルマネージャー
      永野隆三氏
所在地:〒662-8521 西宮市用海町4番57号
Tel. 0798-32-2602(代表) Fax. 0798-26-9671

http://www.nihonsakari.co.jp/

左:浜田取締役
右:永野ゼネラルマネージャー
本社前庭に設置された経営理念の石碑


企業理念:「企業に夢を、社会に幸せを 愛される日本盛をめざす」1888年、約50名の青年たちで結成された南摂青年協力会。その中から、「産業の興隆に資し、西宮の発展に役立つよう事業を企てよう」とする有志たちが青年有為会を作り、翌1889年(明治22年)に西宮企業会社を設立し、酒造業を開始。
当時ではめずらしく、会社組織で酒造りを始めたこの会社が日本盛株式会社のルーツとなりました。
以来、数々の苦難や苦節に遭いながらも「品質第一」「信用第一」「実行第一」の社是のもとにこれを克服し、常に業界のリーディングカンパニーとしての自負をもって事業を進めてきました。
弊社の酒造りの心は、『よりすぐれた酒造りをめざし、そして広くお客様に愛される酒を提供したい』という思いの中に生きつづけています。 丹波杜氏の優れた技術を受け継ぐと共に、さらにバイオテクノロジーの研鑽にも注力し、「多様化するお客様の嗜好に対応し、愛される酒をつくる」私たちは無限の可能性に挑戦し続けています。(日本盛株式会社ホームページ「企業概要」から引用)

●産業と地域の発展を期した有志により創業

神戸組合長   右:浜田取締役
神戸組合長(以下神戸):本日はお忙しいところ、時間をいただきましてありがとうございます。山田錦倶楽部の対談と言うことで、沢山の人数でお邪魔をいたしました。  早速ですが、西宮酒造さん否や、日本盛さん。私には「西宮酒造さん」の方がなじみがありますのでつい言ってしまいます。失礼をいたしました。 日本盛さんは灘五郷のなかで、比較的創業が新しいとお聞きしておりますが。

浜田取締役(以下浜田):おっしゃる通り私どもは、酒造メーカーとしては比較的新しく、明治22年(1889年)創業の会社です。創業の発端は「産業の興隆に資し、西宮の発展に役立つよう事業を企てよう」とする有志たちが青年有為会を作り「西宮の地場産業は酒造業だ」として西宮企業会社を設立したことが始まりです。
浜田取締役
それで当時としては、まだめずらしかった株式会社として出発しました。 明治29年(1896年)には西宮酒造株式会社と社名変更し、以来日本盛の商標でやってまいりましたが、平成12年9月に再度の社名変更で現在の日本盛株式会社となり、商標と社名が一致いたしました。
その間に戦災と震災の2度の災害に遭いました。特に戦災では施設の90%を失い、まさしく壊滅状態だったのですが、鉄筋コンクリート造りの倉庫が一部残りまたので、なんとか酒造りを続ける事ができ窮地を凌ぐことができたそうです。
平成7年の阪神淡路大震災でも大きな被害に遭いましたが、多くの方々のお陰でなんとか復旧することができました。

神戸組合長:灘五郷のお蔵元は江戸時代、それ以前から続いた老舗が多いので、やはり110年以上操業されている日本盛さんでも"新しい"と言う言葉が付くのでしょうね。会社創設は、今流に言うと「青年達が始めたベンチャー企業」と言ったところですね。そのベンチャー企業は老舗の多い灘五郷で様々なご苦労があったんでしょうね。

浜田:色々とあったようですが、特に原料である良質の酒米の確保が一番大変だったようです。JAみのりさんの地域は当時の言葉で言いますと「播州米の産地」ですが、実績のない当社が播州の酒米を集めるのには相当苦労したようです。
当社の創業と合わせるように、播州米の産地と灘の古い蔵元との間で、農家集落を単位とした契約栽培いわゆる「村米制度」が形作られました。
当社は神戸組合長がおっしゃった通りベンチャー企業でしたので、仲次(仲買業者)を通して必要量をやっと確保したと聞いております。いずれにしてもJAみのりさんの地域とは創業以来のおつきあいです。
また当社は「100歳の若者」と言われるように、歴史ある灘五郷の蔵元のなかで、いつも新しいことにチャレンジする姿勢は今も変わっていないと思います。


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