灘の蔵元巡り
山田錦倶楽部の主宰者、JAみのり代表理事組合長神戸秀典が、山田錦の育ての親である灘の蔵元のお話をお伺いいたします。
第5回
菊正宗酒造株式会社

常務取締役技術担当
    兼総合研究所長
  農学博士 
原 昌道氏


所在地:658-0046 神戸市東灘区御影本町1-7-15
電話:078-851-0001(代表)
HP:http://www.kikumasamune.co.jp/

左:原 昌道常務
上:歴史的社屋(菊正宗HPから)


菊正宗酒造は、万治2年(1659年)の創業以来340年、品質本位の主義を掲げて参り、"本流辛口"を守り続けてきました。そして、その本物の味を国内はもとより海外にいる少しでも多くの人に飲んでいただこうとアメリカをはじめ、香港・シンガポール・オーストラリアそしてヨーロッパにも日本酒を輸出しています。(中略) 
今や清酒業界もアメリカでの現地生産や米国産清酒の日本への逆上陸など世界の動きに目が離せない状態にあります。そんな中でも、菊正宗は品質第一の主義を貫き、少しでもより良い日本酒を輸出して、いろいろな意味での日本国内市場と外国との橋渡しの役目が果たせれば、と考えております。(菊正宗酒造HPから)

●菊正宗の歴史

原常務  右手前神戸組合長
神戸組合長(以下神戸):今日は現在菊正宗酒造総合研究所長で技術担当の原常務にお話をおうかがいします。原常務さんは国税庁醸造試験所長もされていた醸造技術の権威でもおありですが、まずは菊正宗さんの歴史からお聞かせください。

原常務(以下原):菊正宗酒造の前身本嘉納商店時代のことになりますが、御影村、現在の神戸市西宮市御影の在郷商人(廻船業、綱元)として活躍していた嘉納家の当主が、当時の先端の製造業であった酒造業に手を広げたのが万治2年(1659年)、4代将軍家綱の時代です。
17世紀末になると、いわゆる江戸での「下り酒」の人気が、灘の酒を急速に発展させ、本嘉納家の酒も文政、天保、弘化年代 (1818年〜1847年)には、すでに1万石内外も醸造していました。 1877年には海外(英国)に輸出をしております。
明治維新後、混乱が落ち着き生活全体が向上すると、灘の蔵元は競ってよい酒米を探して使い出しました。 当社では本嘉納家8代目の尚義、後の秋香翁が明治15年(1882年)に当主となり、家業に専心して発展の契機をつかみ、明治17年、「商標条令」が発布されるに合わせて、明治19年「菊正宗」の名前が登録されました。

神戸組合長:以前からお聞きしたいと考えていたのですが、「菊正宗」さん以外にも日本酒には「正宗」の字が付く銘柄がいくつもあります。一説には「臨済正宗」(りんざいせいしゅう)の後半の「正宗(せいしゅう)」が「清酒」に音が似ていたからなどと言われていますが。

原:そういう説もありますが、正確なところはわかりません。ただ江戸末期に全国的にこうした名前が広がり、酒といえば正宗と言うほど人気があったようです。そのため弊社で「正宗」の名前を商標登録しようとしても受理されず、困っていた時に秋香翁が庭の白菊を見て「菊正宗」の名称を思いついたとのことです。


ページ移動
1/3
山田錦倶楽部
トップへ

ごあいさつ

山田錦ってなあに?
 
蔵元巡りの旅

灘の蔵元巡り

吟醸蔵巡り

日本酒を楽しむ

Copyright © JA-minori 2002