●剣菱の歴史
神戸組合長(以下神戸):まず剣菱さんの歴史を伺いたいのですが。
白樫社長(以下白樫):実際のところ古い資料が散逸して残っていませんので、創業が何年なのか、はっきりとわかっておりませんが、元々は伊丹で営業していました。江戸期から大正までは伊丹です。昭和になってから灘に来ました。
一番古い資料を見ますと、永正2(1505)年頃に「剣菱」という酒があるという記録が残っているので、500年近く前からあったということは判っています。
その間、家が何軒か変わっていて、私のところで5軒目です。大正の終わりに引き継がせて頂きましたが、「剣菱」は伝統のある商品ですので、その商標を汚してはいけないということでやってまいりました。
「剣菱」の商標について言いますと、江戸末期に喜田川守貞という人が著した「近世風俗誌」という本があります。江戸時代の風俗、習慣などについて書かれたものですが、その「酒」のところを見ると伊丹、池田といった産地が出ています。
「その昔は奈良の〈南都諸白−もろはく〉が有名だったが、今は〈伊丹諸白〉が有名である」とあります。「諸白」というのは麹米とかけ米のどちらも白米にして造るというやり方で、今の酒造りの原形です。
白樫:「伊丹諸白」は、江戸時代初頭くらいから有名でした。江戸時代は伊丹、池田が主産地で、江戸時代の中期以降に灘の方に移りました。
なぜ灘が主産地になったかというと、物資の江戸への下り方が最初は担いでいったのが、馬になり馬車になり、船になっていく。灘のほうが船積みしやすいということ、それと六甲山がありますので川の水を利用した水車が多くあリ、大量の高精白ができた。それと蔵人、丹波杜氏もいるし、何より水が硬度のある水だった。それで、酒造りがだんだんと灘の方へと移ってきて、江戸末期には主に灘が主産地になりました。 |