●食文化の中にしっかりと位置を確保することが大切
神戸:かつて酒飲みはわずかなツマミだけで日本酒を楽しんだわけですが、私たちの食卓にも一昔前とは違って、世界のいろんな食材や食べ方など多様な食文化が入って来ています。
そんななかでの日本人の主食であるお米を材料として、その上神様に捧げるお神酒(みき)でもある日本酒、なかでも特に吟味して造られる吟醸酒は、食卓での高貴な主役となるべきか、それとも食事と共に楽しむ路線を目指すべきなのか、このあたりはどのようにお考えでしょうか。
橋本:酒と言うものは食と会話の黒子でありたいし、そうあるべきだと私は思います。
あくまでも「いやー今日の食事はおいしかった」と言うときの脇役であるべきだと思います。
20年程前から地方の蔵元が切磋琢磨して吟醸・大吟醸の品質を競い合って発展してきたことも事実ですが、今後の時代を考えると日本酒の世界の内部での競争もさることながら、大きな食文化の中の楽しみ方として、しっかりと位置を確保することの方が大切だと思います。
神戸:なるほど、私も同じように考えています。そして食の楽しみ方の中には、日本酒も味、酒質を越えて、そもそもどんな心構えで蔵人が酒を造っているかを知ることも含まれるものだと思いますし、もっと言わせていただくなら、移り変わる日本の四季の中で酒の原料米を農家が丹精込めて作っている世界に思いを馳せていただけるような情報発信が大切だと考えております。
橋本:そうです。どんな人が米を作ってどんなオヤジが蔵元で酒にしているのか。これらが酒を飲む人に見えるようになると言うことは、蔵元の自分達が昔からこの地で自分達なりのやり方で造ってきた酒を世に問うことであるわけです。
幻の酒と言われるものがある訳ですが、突然そんなものが造られた訳ではなくて、言うならば理念と言うかポリシーを持って長年努力を続けて造られてきた酒が、偶々(たまたま)評価されてそう言われるようになるんだと思います。
神戸:こうして全国のお蔵元にお伺いしてお話をさせていただきますと、強く感じさせられるものがあります。
お蔵元には日本の伝統文化を維持継承していただいていると感じる訳ですが、そこで企業の存在価値、社会的責任としての「公(おおやけ)」の側面と、いくら企業として大きくなってもあくまでも家業と言うか、「私」としてしか担えないものを上手にバランスを採って事業を営んでいらっしゃる点がお蔵元の凄さだと感じる訳です。
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