灘の蔵元巡り
山田錦倶楽部の主宰者、JAみのり代表理事組合長神戸秀典が、山田錦で高級酒を造る全国の蔵元のお話をお伺いいたします。
第13回株式会社福光屋
代表取締役社長 福光松太郎氏
    
所在地:〒920-8638
金沢市石引2-8-3
電話076-223-1161 Fax.076-222-3769

  http://www.fukumitsuya.co.jp/

上:対談風景


右:酒蔵外観
(福光屋HPから)
 Premium Sake
 こだわり続けた酒米と、自然の恵みの百年水。そしてこれら最高の素材と、自然のチカラを巧みに操る蔵人たち。
職人魂の酒造りとは、飲む人の感性を揺さぶり、心から満足してもらえる酒を納得のいく量だけ醸すこと。
福光屋の造る酒が、千数百年来日本で造り、飲み続けられてきた日本酒のひとつとして、現代の日本を生きいきと表現するものであること。
それは、世界基準となりうる日本酒の新しい価値、"Premium Sake"を創造していくことでもあります。
伝統的なものほど現代的であり、日本固有のものこそ国際的に通用する。
創業以来のシンボル「打出の小づち」に込められた意味は無限の創造。
日本酒の大きな可能性と、未来を切り拓く福光屋の道標でもあるのです。
(福光屋HPから)

●伝統は革新の連続
福光社長
神戸組合長(以下神戸):福光社長にはいつも山田錦の稲刈りの時には、私どもJAみのりの地域までお越しいただいております。私の方もいつもお世話になっているお蔵元に出向いて、お話をさせていただこうと、こうして参っている次第です。

福光社長(以下福光):わざわざお越しいただきましてありがとうございます。あらかじめペーパーはもらっていますが、どのあたりからお話をすればよろしいですか。

神戸:それではどのお蔵元に参りましても、冒頭でまずお伺いしているお蔵の歴史からお話しいただけますでしょうか。

福光:私どもの創業は1625年(寛永2年)となっております。蔵の前の通りを右のほうへ真っ直ぐ参りますと大きなお寺があります。金沢は当初、加賀の一向一揆で出来た尾山御坊と言う城を中心にして百姓が自治をしていた経緯があり、一向宗つまり浄土真宗が大変盛んなところでした。
 前田利家が金沢の城主になり、世情が安定した後も、お寺の力が強く、前田さんも大変気を遣ったようです。 当時金沢は城下町の守りを固める意味で、街外れにお寺を並べていたんですが、うちの蔵の場所もあの大きな寺の参道に並んでいた店のひとつだったようです。いまでこそ商店街の中になってしまい街の真中にあるように見えていますが、ここは旧金沢の東の縁(へり)でした。
江戸時代の古地図に記された
当時の界隈(福光屋HPから)
その頃は造り酒屋などはそれこそ夜空の星数ほどたくさんあり、何かで読んだところによりますと関八州だけでも3万軒もあったそうです。
ですから一軒一軒はごく規模が小さく、お米を預けられて酒にしたか、あるいは地主さんが小作人の作った米で酒を造っていたわけです。
私どもの前身のこの蔵でも、おそらく酒を造るだけでなく表で、売りもし飲ませもしていたと思います。
これがこの蔵の発祥です。
それからこの形式で100年位したあと、越中、今の富山県の福光と言う町から一人の男が出てきてこの蔵を買収して経営者が変わります。
やがて屋号もこの人の出身地から「福光屋」と名乗るようになりました。ですから福光屋の蔵としては280年位になります。
そんなわけで、私は当初の蔵の初代から数えて13代、福光屋としては8代目になります。 福光屋は「伝統は革新の連続」を掲げ、常に革新的であることを特徴としています。先人達の業績の掘り起こしと破壊、創造と再構築をくり返すのが福光屋の姿勢です。
ですから先代のやったことをそのまま引き継ぐことは許されません。
 


●アルコール添加を嫌い全量純米酒化宣言へ
神戸:
なるほどいつも福光屋さんが新しいことにチャレンジされている理由がその辺にあったんですね。
では我々の地域、兵庫の山田錦とのかかわりはどんなところからでしたか。

福光:先々代つまり私の祖父に子供が無かったので、祖父の弟の次男だった父が、成人後養子のかたちで跡を継ぎました。
父の実家は滋賀銀行の頭取をしていたのですが、私の母は伏見の蔵元「キンシ正宗」の娘でした。父には酒造りの経験がありませんでしたので、灘・伏見の蔵元を廻って酒造りを学びましました。
終戦直後のことで地場の酒造りの技術が停滞していた時期でしたので、母の実家のある伏見から杜氏を連れてきたりして梃入れをするなかで、伏見に出蔵を作ったんです。それで向こうの酒造組合にも入って技術交流をいたしました。
それで技術とともに原料である酒米も、伏見で使っていた兵庫の山田錦を持って来たところ、これが非常に良かった。何とか安定的に入れられないかと考えていたところ、ちょうど折り良く中町坂本の集落の方々との出会いがあって、村米制度とほぼ同じかたちを作ることができました。これが40年前のことです。

神戸:その頃は山田錦が灘・伏見以外に出ることはほとんど無いことでしたし、第一酒米自体が非常に不足していた時代ですね。

日本酒の未来を見つめて
福光屋は、2001年度の酒造りから 全てを純米造りに切り替えます。 純米酒、純米吟醸、純米大吟醸 だけを造る蔵になります。
(福光屋HPから)
 
福光:そうです。酒米が不足していたわけですから、アルコールを添加して量を増やす三倍増醸法もまだまだ多かったが、こうした経緯からおかげさまでうちは非常に早いスピードで三倍増醸法から脱出することが出来ました。
それで私自身、アルコール添加が嫌でしたから、16年前の級別廃止(注:それまでの特級酒、1級酒、2級酒の種別が廃止された)の時に、うちの蔵は全量を特定名称酒(注:本醸造、純米、吟醸、大吟醸等の高級酒)にいたしました。
そしてついに2001年からは全量純米酒化を宣言することになりました。こうしたことは年間万石規模で生産している蔵元としては初めてのことです。

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