灘の蔵元巡り
山田錦倶楽部の主宰者、JAみのり代表理事組合長神戸秀典が、山田錦で高級酒を造る全国の蔵元のお話をお伺いいたします。
第10回 五十嵐酒造株式会社
代表取締役社長五十嵐智勇氏
      杜氏 似内理惣治氏

           (にたないりそうじ)
所在地:〒357-0044 埼玉県飯能市大字川寺667-1
電話0429-73-7703  Fax.0429-74-0394
http://www.snw.co.jp/~iga_s/

五十嵐社長

創業当時の五十嵐酒造
(五十嵐酒造HPから)

              杜氏が始めた酒蔵

選びぬかれた良質の米と清流名栗川の伏流水による丁寧な酒造りは蔵の心と杜氏の熱い思いがこめられています。
「天覧山」の初代久蔵は、新潟県中頸城郡の出身で杜氏として青梅の「澤乃井」小沢酒造につとめていましたが、独立して飯能の地で酒造りを始めました。
天覧山の酒蔵は、名栗川と成木川の合流点に接して建っています。
空気は澄みわたり、きれいでやさしい奥秩父からの、伏流水を井戸から汲み上げています。
飯能の素晴らしい大自然「緑と清流」が軽くて、キレの良い天覧山を育んでくれるのです。
(五十嵐酒造株式会社HPから抜粋)


●飯能のシンボル天覧山の名前を戴く
五十嵐社長
神戸組合長(以下神戸):早速ですが、前々からお伺いしたいと思っていた、五十嵐さんのお蔵の商標「天覧山」と言う名称の由来をお聞かせください。

五十嵐社長(以下五十嵐):天覧山は地元飯能市内にある飯能のシンボル的な山の名前なんです。以前は羅漢山と呼ばれていましたが、明治時代に今の天覧山になりました。
これには逸話があるんです。明治維新の時この地域は一ツ橋領だったんですが、渋沢平九郎と言う人物が幕府側の彰義隊の別派、振武軍を率いて天覧山の麓にある能仁寺に立て篭もったんです。
この人は日本の資本主義の始祖とされている渋沢榮一の従兄弟に当るんですが、彰義隊が敗れたもんですからここにも別派がいるぞと言うことで、ドンパチやられて一面焼け野原になってしまったんです。
その後幕末に活躍し幕臣から侍従になった山岡鉄舟の「武州飯能の民が困窮している」との進言により、近衛の兵隊の演習をやれば地元に官費が落ちると言うことで、明治16年に天皇御臨席の下に一大演習が行われたんです。
その時に明治天皇が羅漢山に登り閲兵されたので、これを期に「天覧山」と呼ばれるようにになったんです。
高さ195mの低い山ですが、ちゃんと三角点もあり、頂上からは飯能一帯はもちろん遠くは東京までが見渡せます。

神戸:パンフレットによると、明治30年のご創業ですが、最初から天覧山の名称をお使いだったんですか。

蔵には酒造りの神様松尾神社が
五十嵐:いえ初代の久蔵は、新潟県の出身で青梅の「澤乃井」小沢酒造さんの杜氏をしていたんですが、独立してこちらの方で酒造りを始めました。
当初は「武州白鷹」を名乗っていたのですが、灘の「白鷹」さんと同じではまずいと言うことになり、「天覧」と言うのはどうだろうとも考えたらしいのですが、「天覧山」の方が固有名詞でもあり地元にふさわしいと言うことで商標として登録したと言うわけです。
会社の方は澤乃井さんの別家だとの意識から、澤の文字をいれた木澤屋を名乗っていたのですが、昭和32年に株式会社に改組した時に、五十嵐酒造にしました。
「澤乃井」さんとは山一つ越えればすぐの場所ですし、今も親しくお付き合いさせていただいております。 私は機械が専門でしたが、昭和47年に結婚しまして4代目となります。



ページ移動 次のページへ
  1/3  
山田錦倶楽部
トップへ

ごあいさつ

山田錦ってなあに?
 
蔵元巡りの旅

灘の蔵元巡り

吟醸蔵巡り

日本酒を楽しむ

Copyright © JA-minori 2002