●良質の酒米を求めて戦前から山田錦を使っていた
神戸組合長(以下神戸):いつも、兵庫の山田錦をたくさんお使いいただきまして、ありがとうございます。今日は山田錦倶楽部ホームページの対談と言うことで参りました。よろしくお願いいたします。
堀川社長(以下堀川):こちらこそよろしくお願いいたします。遠いところ、わざわざお越し頂きましてありがとうございます。
神戸:早速ですが本題にはいらせていただきます。銀盤さんはお蔵元の中ではわりと新しいお蔵だとお聞きしましたが、いつごろからお酒造りを始められたんですか。
堀川:そうですね、登記簿によりますと明治43年9月開業登記になっております。私で3代目になりますね。
神戸:創業当初は、当然ご近所のお米を使われてお酒を造られていたんでしょうね。
堀川:そうです。それが酒造りを重ねていく間に、良い酒をつくる為により良い米を求めるようになり、この辺りの米だけではなくて色々と試すことになったようです。
神戸:山田錦とのお付き合いはいつ頃からですか。
堀川:先代の時代のことで私には詳しくはわかりませんが、戦前から少しはいただいていたようです。
神戸:そうですか、こちらも各お蔵元とのお付き合いの状況は全て把握しているのが当たり前なのですが、これまでは経済連を通してのおつきあいでしたので正直申し上げて把握し切れていないのが実状なのです。その様なわけで、このようなことも失礼ながらお聞きをしております。
それでは、本格的に山田錦をお使いになるのは地酒ブームが起こった昭和50年代でしょうか。
堀川:いえ、もっと早い時期ですね。昭和30年代にはある程度の量を使っていたようです。そのきっかけは、良い米を探していたこととタイミング良く、先代が灘のお蔵元を視察させていただいた事にあるようです。
それと、30年代から40年代にかけて新酒鑑評会で金賞を取るためには、山田錦でないと難しいという認識が業界に広がったこともあります。
ついでに言いますと、昭和50年代には先程おっしゃった通り地酒ブームが起こり、昭和60年頃には全国で吟醸酒が盛んに造られるようになりました。
ところがバブルがはじけると、一転して吟醸酒受難の季節が来るわけです。
それに加えて大手さんも本格的に吟醸酒をお造りになるようになって、地方でやっている蔵元には大変に過酷な時代になりました。
このごろは価格が手頃で高品質の製品が、以前に増して求められるようになっております。 |