●日本の農耕文化を象徴する「惣」の文字に込められた地域密着型の意思
神戸組合長(以下神戸):今日は栃木県外では知る人ぞ知る「惣誉」(そうほまれ)さんにおじゃましています。まずはいつも最初にお聞きするのですが、お蔵の歴史をお教え頂けますか。
河野会長(以下会長):歴史については私がお答えしましょう。元は滋賀県日野町出身なんです。近江の「日野商人」の血を引いていることになります。(日野町HP参照)
こちらに来る前は伊勢の津で酒造りをしていました。日野商人の仲間から関東は良いところだと誘われ、気候の加減もあったのでしょうか、当地にやって来て酒造りを始めたのが明治5年です。
神戸:最初から「惣誉」の名前を使っていらっしゃったのですか?
会長:はい、伊勢の時代から元々「惣誉」を名乗っていました。代々の当主の名前が惣兵衛を襲名し酒造業を営んでいたので、その惣兵衛から採ったと聞いています。この「惣」の字は中国にはありません。「牛」で耕すという字の下に「心」が入っていますね。
これは農耕民族の文化の中から生まれたもので、日本独特の文字なんだそうです。私の父の代に会社組織として、現社長で栃木の地に来てから5代目となります。
神戸:入口の建物はやはり土地柄でしょうか大谷石造りですが、大正時代頃のものですか。
会長:そうですね、入口の蔵は昭和初期だったと思いますが、もっと古い建物も多く、母屋はかつて栗の木端葺き(こばぶき)屋根や萱葺き(かやぶき)屋根だった頃の写真が残っている明治時代のものですね。
神戸:近所には気の研究や合気道で高名な藤平(とうへい)光一氏の生家のように、古いお屋敷がありますね。
会長:合気道の光一さんのお父さんは下野(しもつけ)銀行の頭取で、毎日ハーレーに乗って出勤されておられたことで有名な方でした。この辺りは江戸時代には旗本芦野家の領地だったんですが、藤平家はその出先機関の陣屋だった訳ですし、入野家(いりのけ)のようにかつての庄屋さんの家も残っています。(市貝町商工会HP参照)
うちはこうした大地主のところに集まったお米を譲り受け、付加価値のあるものにして売る仕事だったわけです。
それからこの辺りは水戸からの宿場町で、明治時代には馬車の切り替え地になっていました。それで宇都宮まで往復するトテ馬車(注−当時の乗合馬車)が着しましたし、うちの馬車も米を載せて来て、宇都宮や真岡に酒を運び、商売になっていました。
河野社長(以下社長):その名残とも言えますが、うちの酒は現在でも栃木県内で99%消費されています。そのうち真岡税務署、宇都宮税務署管内で90%以上は買われています。
そして残りの1%が県外ですね。
この辺りでは、酒造メーカーの出荷量が一定以上の規模になりますと、関東信越国税局が管轄になります。係官が来られると、他所のメーカーさんの場合、たいがいは県外に多く売っているらしいのですが、「こんなに近くばかりですか!」と驚かれるんです。しかも、うちの場合は地域の小売店さんと直に取引していますので、流通コストがそんなにかからず、同じ値段でもお酒の原料米にお金をかけた造りができると思っています。
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