西田 昇一さん
 (にしだ  しょういち)

住所:兵庫県美嚢郡吉川町実楽
  みのうぐん よかわちょう じつらく
昭和25年8月生まれ 
略歴:学校卒業後、地元企業に勤めながら父親の補助として農業に関わる。本格的に農業経営を引き継いだのは平成3年の圃場整備事業開始時から。
西田昇一さん 実楽地区遠景

●地域リーダー
農村地帯で行われている圃場整備事業は大変な事業で、総括責任者は、実に気苦労が多いと良く聞かされます。
地区の方々と山田錦の苗を作る準備作業
西田昇一さんは、この事業の実楽地区の総括責任者を努められ、今はその延長線上にある「営農組合」や「黒豆を中心とした観光農業」のリーダーとして活躍されています。
西田さんは、「リーダーですか、たまたま年齢的にそんな時期だっただけのことです。ずーとお世話になって来て、これからもお世話になる"村"のことだから、協力できればとの思いでやらせていただいただけですよ。 
ここまでやって来れたのも皆さんのおかげです。リーダーは皆さんですよ」とのこと。

●圃場の状態
この地区は、丘陵の中腹まで田圃(たんぼ)が広がり、山との境界ははっきりしません。

 代かき作業
川と幹線道路は谷の中央をほぼ東西に走り、北から南へのゆるく浅い棚田が並ぶ。
その中に住宅と田圃が混在する吉川町独特の景観です。
決して農作業のやりやすい環境とは言えませんが、土は山田錦を作るのに適していると言われている粘質土。
粘質土の土は肌理が細く、地元農家の人々は田植えに素足で入ると、ヌルッとした快い感触がたまらないと言います。



●地域と農業の状況
地区の皆さんが取り組まれた圃場整備事業が、さぞや地域の農業振興に役立つことになったことと思い、その点について尋ねました。
山田錦の田植え風景
すると「平成3年の第一次圃場整備事業を期に、農業後継者が無い農家がちょうど良い節目だと離農を表明しました。
以前から日当たりの良くない、確かに作業効率の悪い田圃や後継者が無くて耕作を放棄された田圃も幾分ありましたが、作業をやりやすくするための圃場整備事業が、皮肉なことに離農に拍車をかける形となってしまいました」とのこと。


●実楽地区の営農組合
<発足は?>
営農組合は「農地を守る農業」と「損をしない農業」を標榜して、地域の農家が協力して継続的に農業が出来るように設立したとのこと。これらの意味するところは「田圃から得られる収入と、それに必要な費用が差し引きして"0"であっても、田圃を田圃として守れることはそれだけでプラスだと考えたからですよ」。結果として田圃を守ることに繋がる点を強調されました。
黒豆の観光農園
併せて「黒豆の観光農園は、減反対象になっている田圃の有効活用と営農組合の運営資金を確保すること。
それにお客様との交流。そして来ていただいたお客様に山田錦を認知していただくことが地域活性化になるのではないかと思います」とのこと。
また、実楽地区の営農組合の設立がスムーズに進んだのは「タイミングが良かった。スタート時は、ちょうど乗用の田植機が導入され始めた時期だったので、それぞれの農家が購入する前に乗用田植機の共同化を図ったのです。
これが新たな大農機具への過剰投資からの開放の第一歩となって、営農組合での共同作業が代掻きや稲刈りに広がって行きました。今年初めて試験的にですが、種まき作業も共同で始めたんですよ。
種まき作業は参加が2軒だけだったんですが、今後は増えて行きますよ」と、営農組合の発展の可能性にも手応えを感じていらっしゃる様子です。

<今後の課題>
営農組合にとっての今後の課題についてお聞きしました。「スタッフの確保ですね。特に黒豆の観光農園は短期勝負なので人手の確保が大変ですね。それと、いらっしゃったお客様に吉川町を、そして山田錦をもっと知っていただきたいですね」と積極的な意欲をお持ちです。

B「じつらく緑の風通信」の発行
 じつらく風通信
傍から見ていると解らないものですが、農作業は農家同士が何故か競争心を持つことが多く、例えば「田植」はスピードを競うこととなり、近くの誰かが植え始めれば"それっ"とばかり田植えが始まってしまいます。
問題はこの競争が過度に進むと、作物の育成に適した時期を外れてしまうことすらあると言うことです。
こうした動きに歯止めを掛け、正確で安全な情報を共有化するために、西田さん達は情報誌「じつらく緑の風通信」を平均2ヶ月に1回発行しています。






●村米「沢の鶴」との関係
兵庫の山田錦の生産地域には「村米制度」が続いている地区がかなりあります。
「実楽地区」もそのひとつで、「沢の鶴」さんと一年を通して交流があります。
西田さんは村米制度について、「自分たちの作った山田錦を使ってくださる沢の鶴さんの顔が見え、直接山田錦への思いが聞けることは、山田錦を作る励みになります。
今後は沢の鶴さんとの関係だけでなく、その向こうにいらっしゃる消費者の皆様の顔がお互いに見えることは結果として良い山田錦を作ることになり、離農問題の解決にもつんがるのではないかと感じています。」とお考えのようです。



<コラム>取材ノート
偶然、取材担当者は西田さんを約20年前から存じ上げていました。ただし、どちらかと言えば"お父上とのおつき合いでした。
お父上はお目にかかった最初の頃でも、60歳近くになられていたと思いますが、おそらく大正生まれで戦争を経験されており、よく言われる「今の日本人にはない日本人」、凛とした方で、息子さん(昇一さん)にもとても厳しい方でした。
昇一さんと農業についてお話しをしたのは、今回が初めてです。 担当者は「農耕民族は共同体に居ながら、実のところ自分だけは良い思いしたいと抜け駆けをしがちだ」と思っています。
しかしサラリーマン経験者の増加によって農業の世界も「経営と効率化」を縦軸に、「組織と人間関係」横軸とした営農形態に変化しつつあるのも確かです。
西田さんのお話も、そんな流れを感じさせられるものでした。封建的な環境が残る集落組織の中で、圃場整備事業に営農組合の運営にと、これだけ変革させる事の出来るパワーと能力、人柄はそうそう無いと思いました。
そして全体の印象は"公"を第一に考える方だと言うことでした。 その上に営農組合の運営経費の負担を転作田の活用で軽減させる対策が、吉川町では初めの取組の筈で、大変なことが重なっていることは容易に想像できます。



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