●山田錦の誕生と奨励品種の変遷
現在の兵庫県、かつての播磨の国は灘・伊丹という最大の日本酒生産地のすぐ背後に立地し、酒米生産に適した気候風土に恵まれて、藩政時代から優良な酒米産地として、その名声を全国に轟かせていた。
明治以降、近代的な品種改良技術が導入される中で、幾多の県奨励品種が生まれた。しかしそのころの品種は収量も少ないうえに草丈も長く、したがって倒伏する癖もあり、農家は酒米生産をあまり好まなかった。
そんな中にあって、品質の優れた酒米、とくに背丈の短いものをつくろうとの計画が進み、大正12年(1923年)兵庫県立農事試験場において「山田穂(やまだほ)」を母に、「短稈渡舟( たんかんわたりぶね)」を父として人工交配を行い、新品種が生まれた。
兵庫県奨励の酒造好適米も明治・大正・昭和初期には『弁慶』『野条穂』『山田穂』『渡船』といった品種があった。
以来、幾多の品種が登場する中にあっても、未だに山田錦の醸造特性にまさるものは現れず、山田錦が今日まで王座に君臨しているのである。
ただ、品種としての優秀性もともかく、それを今日まで維持してきたそれぞれの関係者の努力と連携があったことを忘れてはならない。 |